どうも。こんばんは。毎週投稿中の脱ぼっち少年です。
最近は特に寒い日々が続いていますけれど、こちらはちらりちらりと雪が舞う時期にさしかかりました。小生の部屋は6.5畳でして室温16度前後で書いております・・・。本日は最近の脱ぼっちを達成したと思われる小生の所見です。勝手気ままに書きますので、どうぞよろしくです。
小生は今は学生でして、いつも単位がスーパーハイパーミラクルフォールしているのですが、そんな小生でもなんとか友達と仲良くさせてもらっておりまして、友達が少なかった頃(仮にぼっち期とします)と比べて、友達もうんと増えて(仮にリア友期とします)、充実した生活ができています。
ぼっち期に感じていた、考えていたこと。今、リア友期に感じている、考えていること。
この二つを比べてみると全く違います。価値観そのものが根底から覆ったと言ってもいい。
漠然と言いましたが、例を。
特に勉強についてです。
ぼっち期はどちらかというとみんな敵だと思っていました。テストにしても授業中にしても。教室の席もいつも一番前でした。小生が後ろから前にいる人間を見るのが嫌でした。「自分が一番なのに自分の前に人がいるのが許せない」って感じでした。なにより一番前の席は先生からの評価も抜群によかったですし、こぼれ話までも比較的聞き逃すことなく網羅できる。そんなのことをしていましたから、当然ぼっちですよ。みんながわからない問題も小生だけはわかっていましたし(塾も行ってました)、最終的に解答権は一番できる自分に回ってくることもありましたから、なにぶん気分がよかった。見下せた。この権力に自分だけが認められるという矜持。ぼっちという言葉の持つマイナスなイメージよりも孤高といった感じでした・・・。
一方で、小生がわからないことがあってもそれは自分の責任でした。これは至極当然です。だからこそ小生は最強だというように思い込まなければ、すぐに折れるシャーシンみたいな精神でした。全部小生の責任。そして、全部小生の主観だったから世界が恐ろしいほどに狭い。きっと糸を通す針の穴くらい。こんな弱い自分を隠すように深夜になれば、自分の部屋で依存症になるくらいまで毎日72番してました。当時、ゆきのさんの以前のツイートを見て目を丸くしていましたよ。「72番のやり過ぎはS〇X依存症」って。これは今でも治っていません。
だからこそ、今の自分の弱さにもなんとか理解が追いついているのかもしれない。
リア友期になってからは、とても世界が広がりました。
これは学ぶレベルが上がったからという理由もあるかもしれません。小生だけの理解力じゃ上手くいかなくなったとか。きっとあると思います。それに小生じゃ絶対勝てない人が現れた、そういう人がいるということ、その事実が目の前に立ちはだかった。
しかし、それだけじゃない。今までの小生だったら、無我夢中にがむしゃらに争ったでしょうし、嫌がらせとかまでしてでも喰らい下がったでしょう。でも小生のしたことはそうではなくて、一緒にその隣を歩いたり、その人の考えを聞いたり、小生自身も話したり、そこから別の友達が来て議論し始めたり。そこから吸収したりしようという思いが少しずつ出てきた。
もちろんその友達関連でけんかや意見のすれ違いも起きているのも事実です。先日も実際に同じクラブの中で、ある問題に対するアプローチの仕方が違って真っ向勝負になりました。加えて友達と友達の板挟みになったこともある。それがつらいときもありました。でも、なぜかそこに楽しんでいる、充実している小生がいるのは間違いないのです。
他にも人生観とか将来のこととか、考え方が変わった部分がいくつかありました。
たった十数年しか生きていない小生が、友達という概念一つでここまで動く。
別にたくさんの友達がいることが正解ではないでしょう。
それは多寡の問題じゃない。
いるかいないかの存否の問題。
みなさん、脱ぼっちしてますか?
失敬。