こんばんは。脱ぼっち少年です。
秋はどこに行ってしまったのか、と思うような冷え込む日々が続いていましたが、そんな季節も過ぎ、もう12月です・・・。
今週の話は先週も少し触れました、「3月のライオン」内の「学校でのいじめ」からの考察です。決して内容の考察ではありませんので、ネタバレはしませんよ。
今期のアニメを視聴されている方、また原作をお読みの皆さんならおそらく印象に残っているシーンの一つだと思います。
いじめ。ダメゼッタイ。
こんな標語を見かけたのも、ついこの間のことです。
「ダメゼッタイ。」と聞けば、薬物乱用防止のポスターにも書いてある文言です。
それほどに、「学校でのいじめ」というものが薬物の危険さと比較することで、いかにいけないものなのかを表現しているのだと思います。また、「やめられない、止められない」という側面も薬物に似ていることから、なおのこと啓発活動にはもってこいかもしれません。それでも薬物乱用はあとを絶ちません。近年では「危険ドラッグ」と呼ばれる法の網をくぐり抜けた薬物までも、はやり始めました。警察が摘発や規制を強めても、いたちごっこが続いてしまって、一向になくなりません。
まあ、はっきり言えば、なくなるわけないですよね。
薬物の例は明快に理解できますよ。だって、大人は違法な薬物をしていないだけで、健康を害することを化学物質を使ってやっているじゃないですか。タバコにお酒に。もちろん、お酒は適量なら薬と同じような効果みたいですので、その点は医学・薬学のように人のためになっている要素も含んでいるでしょう。ですけど、それを大きく超えて依存症している人は結構多い。その人たちですら救済仕切れていない。そんなことで本当に薬物乱用がなくなる?笑わせるなと言いたい。
「学校でのいじめ」はそれと同じ論理じゃないでしょうか。大人の中でもいじめはそこら中にある。それなのに当事者はもちろん、自覚的になかなかやめない。周りの人も関わらないし、止めない。そんなことで「学校でのいじめ」がなくなる?
小生は思いますよ。
人にはそれぞれ違いがある。それがいじめを生み出すのなら、嫉妬を誘発するのなら、きっといじめはなくならないかもしれない。でもそれは多様性への理解と寛容な心で十分に処理できるはずだ。それを自分自身が忘れず、子どもたちに伝えていくこと。そうすれば、きっといじめは少なくなっていくはずだ。
説教みたいになってしまいましたけれど、悔しくて、悲しくて、歯がゆくて、切なくて書きました。それでは失敬。