どうも。風邪から復調気味の脱ぼっち少年です。みなさん、お体いかがですか。
世間は一年も残り1.5か月です。今年もあっという間でした。新しい友達もできたり、小説を書こうと一念発起したけどうまくいかなかったり、家族麻雀をやって四暗刻で上がったり、北海道に旅行したり、「3月のライオン」の二期アニメのいじめのシーンで自分も一緒になって号泣したりと、体も心も動いた一年でした。
動くこと。それは今ある状態を失うことの代わりに新しい状態を得ることだと思っています。
新天地で一から生活を築くこと。
新たな学問の勉強を始めること。
話したことのない人に話しかけてみること。
バイトの面接に出向いてみること。
どれもこれも、世の中でのたった一場面にすぎません。それでもその一つ一つの「動くこと」の積み重ねが、自分を前後左右上下斜めどこへかはいざ知らずいざなってくれます。そしてそこで得られる何らかの刺激が人間の生きる活力だったりするのです。
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」のエンディングテーマでは、その「動くこと」について、恋愛という観点から作品中の登場人物たちの心情を見事に描写して、そのメロディーラインとともに我々にいろいろなことを教えてくれていると思います。歌詞はググってくださいね。あ、あと別にオープニングテーマと一期をディスっているわけではないので悪しからず。
恋愛において「動くこと」は多方向からの検討が可能です。
まず、好きになること、それも「動くこと」でしょうし、好意を向ける相手に話しかけることも然りです。そのうえで最も積極的で大きな「動くこと」はやはり、その胸に秘めたる好意を相手に伝えることでしょう。
「もしも好きだと告げたら」、きっとそのままの関係では終われないと思います。普通の人であったら、何らかのきまずさ、ぎこちなさが残るでしょう。是非を問わず、少なくとも今までの見方では相手を認識できなくなる。
そこで重要になるのは、「今までの状態の中途半端な居心地のよさ」と「その先にあるであろうもっと充実しているに違いない一歩、二歩、三歩近づいた関係」のどちらをとるかという問題です。
「今見ている景色」が「夢と消える」のを覚悟で進むのか、そうでないのか。
進んだとして、得られるものが必ずあるとは限らない。そんな自分にとって大切な時間も流れている日々のたった一瞬。
恋は盲目と言いますけれど、脳内で堂々巡りの議論を続けていても、日々はいつものように「回り続ける」。
まあ、えらそうにかっこつけて小生が語るよりも、歌詞を見てみてください。
ぼっちから恋愛を始める人、何かを孤独の中で達成して大切なものが何かということに気づき始めている人、何度もふられた経験がある人、きっとそれぞれに思うことがあると思います。
なんというかこれ以上何か言ってはいけないし、小生自身、小生の思いもある。そして未だに整理がつかない。もどかしさと、憂鬱さと、うれしさと、謎の安心感と。答えを出さないことをどこか正解と考えてしまっている小生がいて。
ああ、考えがまとまらないうちに文章にするんじゃなかった・・・・
失敬。